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天来大先生は日本国内はもとより、中国、ペルーと海外にも足を運び、天來大先生・タオイズムの旅


大高坂家(おおたかさけ)


  市内を一望する丘陵に四層の天守が聳える高知城は、高知を代表する観光名所になっているが、南北朝の頃、 ここに早島天來大先生の先祖大高坂家の居城があったことを知る人は少ない。

  河内(高知市)の豪族であった大高坂家は、楠木正成や新田義貞らとともに南朝に与し、七歳の城主松王丸を擁して北朝方を苦しめたが、 衆寡敵せず落城。松王丸は十五歳で討ち死したが、遺骸は神仙のように忽然と消え去ったという。 高知市役所の一角にはかつて大高坂神社が鎮座し、昭和二十一年、松熊神社に合祀されたあとも跡地に松王丸の記念碑が建てられている。

  大高坂家の後裔はその後も多くの試練を乗り越えて家名を守り、江戸時代には南学の大家・大高坂芝山(しざん)が幕政改革や昌平坂学問所 (現湯島聖堂)の設置に奔走し、平藩主(いわき市)の信任を得て藩政にも影響を与えた。大高坂家は村上源氏より道家の技を受け、 早島天來大先生の養家は気の医学を家伝とした。日本道観がいわき市に本部を置いた背景にはこうした歴史の流れがあった。

夜桜の向こうに朧げに浮かぶ高知城(旧大高坂城)
夜桜の向こうに朧げに浮かぶ高知城(旧大高坂城)

松熊神社礼拝伝
松熊神社礼拝伝

松熊神社と鳥居
松熊神社と鳥居

大高坂家の家計図
大高坂家の家計図


崑崙山


  崑崙山は伝説と信仰の神山である。早島正雄著『仙人列伝』(雲笈七籤(うんきゅうしちせん)より)によれば、「崑崙山には 女仙の最高位である西王母が住む荘厳華麗な宮殿がある。西王母は容顔絶世の美女で、陰陽の二気を管理し、天地を養 い、万物を形づくった」とされ、山頂の上空に宇宙を支配する天帝の居所がある。崑崙山は天上と地上を行き交う要路にな っていたのである。

  早島天來大先生が崑崙山に登ったのは平成三年五月である。早島天來大先生は山東省文登市で開かれた「中国道教全 真派国際検討会」に日本からは唯一の道家修行者として招聘され、妙瑞先生も招待された。文登西方には全真教の祖王重 陽と高弟丘長春が修行した聖なる崑崙山が聳えている。

  文登市での早島天來大先生は周囲から「仙人が帰ってきた」と熱烈歓迎を受け、竹駕籠に揺られて崑崙山に登った時も地 元テレビ局が取材に駆け付ける大変なフィーバーぶりであった。崑崙山についてはイメージ的に西域の崑崙山脈だという説 もあるが、早島天來大先生が登頂した聖なる山への信仰は少しも揺らぐものではない。

周囲は「仙人が帰ってきた」と大騒ぎ
周囲は「仙人が帰ってきた」と大騒ぎ

取材陣に取り囲まれてインタビュー攻めに
取材陣に取り囲まれてインタビュー攻めに

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