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道を説く雑誌をつくられ八十冊以上もの本を執筆登仙された後も
                 次々と増刷を重ね 今も多くの人々の心とからだを癒し続ける天來大先生

旧日本道観・聖堂の廊下で書物を手にされる天來大先生
旧日本道観・聖堂の廊下で書物を手にされる天來大先生

  天來大先生の生活された部屋は聖堂(せいどう)と呼ばれ、写真にあるようにその廊下には造りつけの書棚が並び、室内もぐるりと書棚。まさに多くの書物に囲まれて生活をされておられました。

日本全国、そして世界へ飛びまわってタオイズムを広め、人々の心とからだを癒される一方、八十冊以上もの本を執筆され、また終生ご自身の研究も続けられました。書斎には多くの書物が並び、集められた書物は、 道家・道教の東洋哲学、東洋医学はもちろんのこと、美術、文芸、西洋哲学、経済など広範囲にわたっておりました。

  天來大先生が江戸時代の儒学者・大高坂芝山の末裔であり、また肖像とご自身がそっくりであるということからして、天來大先生が文章の達人であったことは、容易に頷けるのです。

芝山は江戸時代の儒学者で朱子学をつぐ高知の南学の祖といわれ、その漢文は中国の人をも感動させるような美文だったといわれています。

  天來大先生は道家の神髄を皆にわかりやすくかみ砕いた多くの著書を残されました。

  それらの本は八十冊を超え、台湾・中国・韓国などアジアにとどまらず、平成九年には英語版『THE TAOIST ROAD TO HEALTH』が講談社インターナショナルより出版され、大好評のうちにドイツ語・スペイン語にも翻訳されました。

  その内容は導引術の入門書だけでなく、道家の秘伝を公開した『導引術秘伝サケ風呂健康法』や『観相導引術』等、多方 面にわたり、わかりやすく読みやすいと大好評でした。

  また『雲笈七籤』より『仙人列伝』を、『遵生八牋』から『道家の人びと』を翻訳したほか、『「老子道徳経」の読み方』等、一般 の人にわかりやすい書物だけでなく、学問的にも奥深く貴重な書物も残されたのです。

  天來大先生の書籍はご登仙後もその気を伝え、今も数多くがベストセラーとなり、人々の心とからだを癒し続けているのです。

道天來大先生の「道を説く雑誌をつくりたい」という志は、
『道観』から『TAO』へと結実し、350号を超えました。

月刊誌『道観』の創刊にあたって

道家龍門派伝的第十三代 日本道観道長 早島正雄

  古代より伝えられてきた道家の思想、行法を広く普及させ、真に望ましい社会の実現の手助けとなることを目的として機関誌『仙学』が 創刊されたのは、昭和五十一年一月のことです。最初は隔月刊として出発し、二年後の昭和五十三年二月から月刊となり、現在まで六 十号を数えています。充分とはいわないまでも、前記の目的を着実に達成しつつあるのではないかと、少なからず自負しています。

  『仙学』創刊以降の五年間はまた、日本道観が急速に社会に対して扉を広げた期間でもあります。鎌倉から福島県いわき市に本部 を移し、名称も松武館から日本道観へと改め、指導員制をとり入れ、有能な指導員の主宰する道場も全国各地に開設されるようになり、いまやその数は二百を越えています。

  こうした状況の変化を考え合わせ、より広い層の人々により、濃い内容をもつ機関誌を届ける必要性を感じ、このたび『仙学』を発展的 に改革、誌名も『道観』と改め、こうしてその創刊号をお手元にお送りすることとなったわけです。

  ページ数も飛躍的に増え、体裁も一新しましたが、刊行目的にはいささかの変容もないことはいうまでもありません。指導員、会員をはじ めとする読者諸氏ともども、道家の思想、行法を社会に広げ、われ、ひとともに楽しい社会の実現の一助となれば、これにまさる喜びはありません。

  末長いご愛読のほどお願い申しあげます。

月刊誌『道観』の創刊にあたり天來大先生が書かれた文章

■『仙学』昭和51年1月創刊
■『仙学』昭和51年1月創刊
■『道観』昭和56年3月創刊。創刊時の表紙のロゴは天來大先生の書
■『TAO』112号から始まり121号より現在と同判B5サイズの『TAO』となる

雲笈七籤』より『仙人列伝』を
『雲笈七籤』より『仙人列伝』を、『遵生八牋』から
『道家の人びと』を翻訳、『諸病源候論』を翻訳された

「芝山会稿」(上)
「芝山会稿」(上)
大高坂芝山の書(下)

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